芸術と非芸術の境界を問うもの

 現在では市民が日常において芸術に触れる機会は多い。美術館や展示会だけにとどまらず、多種多様なアートイベントや教室も開催されている。また能動的に芸術に関わろうとせずとも、著名な絵画が様々な商品のパッケージや広告デザインなど消費活動に起用されていることも多く、これも含めれば私たちが芸術とされるものに触れない日はないだろう。このような環境になったのはいったいいつ頃でなにがきっかけだったのだろうか。1910年頃から生じたダダイズムをはじめとした既成概念としての芸術を否定した「反逆の芸術」が、これまで特権階級のためにあった芸術が市民にむけて開かれたものになっていくきっかけになったのではないかと私は考える。
 これまでの芸術には「統治者に民衆を統治するに足る正当性を顕示し重厚で厳粛なオーラを与える」という性質があった。この性質を利用し、世界各地の社会において、王権は軍事力と政治力のみならず、芸術による視覚に訴えた方法で秩序の維持という信頼を広く人民に抱かせ、長期的な統治をしていたのである。視覚に訴えた方法としては、神とのつながりを示す宗教的な儀式や式典が例として挙げられる。
 しかし第一次世界大戦の勃発により、ヨーロッパの人々の間において人間の文明や理性への信頼が大きく揺らいだ。レディメイドが投げかける「芸術作品とはなにか」という問いは鑑賞者全員に、芸術のこれまでのあり方と、これからどのように芸術に触れていくのかを考えさせるものとなった。これらは芸術と非芸術の境界を問うものであり、人民が容易に触れることのできないような美術館に飾られるものや、統治者が指し示すもののみが芸術ではないことを考えるきっかけを世間に問いかけるものとなった。
 また、第二次世界大戦後の1950年頃から様々な産業が発達し、大衆文化や消費社会が生まれた。生活と芸術、芸術と非芸術の境界を横断するネオ・ダダがこうした背景で生まれ、この活動はのちに1960年以降から生じるポップ・アートにも通じる。これらの芸術動向は、芸術の神聖性や重厚さを人々の生活する現実的な世界へと引き下げ、消費社会に応答するものとして新たな側面を芸術に与えた。芸術の経済的な価値や、誰がどのように芸術作品を入手するのか、それすらも既存の形態とは変わっていったのである。
 以上のような、「反逆の芸術」という芸術動向が起こったことにより、芸術がより広い層に届くきっかけが生じたのではないか。人民の信頼を得るためのものとして、あるいは宗教の伝播に用いられるものとしての芸術という側面から、日常的に触れることができるもの、広い層に向けて芸術とは何かを問い文化の醸成を促すもの、人民の生活に溶け込むものへと性質を広げたと私は考える。教養の有無や鑑賞者の属性によって制限されることなく、今後においても芸術が広く開かれたものであり続け、芸術について触れたい、考えたいと望む人へ届き続ける社会であることが重要である。
作成日 2024.05.27


出典・参考文献:
・藝術学舎「近現代の芸術史 造形篇Ⅰ 欧米のモダニズムとその後の運動」編:林洋子
・「ボストン美術館展 芸術✕力」監修:アン・ニシムラ・モース