タイトル

 ベルトルト・ブレヒトとアントナン・アルトーは二十世紀に活躍した劇作家である。受講中両者の演劇への姿勢に興味が湧いたため、その理由を共通点や相違点をもとに考えていきたい。
 ベルトルト・ブレヒトはドイツの劇作家で、これまでの伝統的な形式を持つリアリズム演劇を批判し戦後の演劇界に大きな影響を与えた。舞台で演じられる精緻な物語を享受し消費して終わるのではなく、身分や立場によらず幅広い層の観客が、自分たちの社会の現実や問題を認め主体的に取り組んでいける力を与えるような演劇の方法を求めた。その考えを取り込んだ叙事的演劇を提案し、異化効果などの演出方法を生み出した。
 アントナン・アルトーはフランスの俳優及び劇作家で、身体演劇である残酷演劇を発表し現代演劇に大きな影響を与えた。アルトーの演劇論は「自分が自分自身ではないという感覚」というものに由来し、「何者かが自分の存在を奪っているようだ」と彼は語る(*1)。書かれた戯曲は俳優自身の身体や言葉を奪っており、西洋演劇はそのための技法しか考えていないとし、規範に縛られた演劇ではなく自己を取り戻した演劇を求めた。
 まず両者の共通点を考えていきたい。両者ともに物語を絶対視しその忠実な再現を行うことで観客に感情移入させるようなリアリズム演劇を批判している。また、俳優と演技の関係についても類似した考えを持っている。ブレヒトは俳優の演技による発話はあくまで演技であり発話内容と発話行為に対称性はない。そして、アルトーは「同じ言いまわしは二度と役に立たない、二度は生命を持たない。いかなる言葉も、口にされるや否や、それで死ぬ。口にされているその瞬間だけしか効き目がない(*2)」と述べており彼が理想とする催眠的領域にある演劇は発話と行為が完全一致し反復性がないものとしている。
 次に、両者の相違点を考えていきたい。ブレヒトは物語と俳優、物語と観客の間にあえて距離を設け、客観的な立場から物語を演じるあるいは物語を観察する方法を求め実践していた。発話と発話行為の非対称性や言語使用の根底にある剽窃構造は存在するものとして受け入れていた。一方アルトーは物語と俳優とが渾然一体となり観客をも引きずり込むような催眠的領域にある演劇を求めた。残酷演劇において反復可能な言語から逃れ、発話と発話行為の真の対称性を実現する独自の言語の創出を試み、それによって自身の言葉を取り戻そうとしたのである。
 以上、ブレヒトとアルトーの共通点と相違点をみてきた。ブレヒトは創作者だけでなく鑑賞者にも批判能力や研究能力を求め社会参画を促す演劇を目指していた。アルトーは自己を深く見つめ理想の演劇を表現するために苦しんでいた。このふたつは相反するようだがどちらも創作活動のみならず生活する上で大切にしていきたい姿勢だと感じる。そのように受講中感じとったことが、この二人の劇作家に興味を持った理由だったのだろう。
作成日 2024.11.23


出典・参考文献:
(*1)森山直人『芸術教養シリーズ 15 近現代の芸術史 文学上演篇Ⅰ 20世紀の舞台芸術』藝術学舎、2014、p156
(*2)石田雄一『叙事的演劇と残酷演劇 ブレヒトとアルトーとの言語意識に関する共通性』、1992、p114